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9日の平和祈念式典で被爆者代表として「平和への誓い」を朗読した長崎市の森重子さん(72)は「一家離散を余儀なくし、私の生活を根底から壊した原爆を許せない」と話し、壇上に立った。
原爆投下時、爆心地から4・1キロの防空壕(ごう)に入っていた。壕の中にも火の塊のようなものや熱風が流れ込んだ。その後も黒い雨が降り、やけどを負った被爆者が列をなす姿をたびたび見た。 当時、祖父母と両親、6人きょうだいの計10人暮らし。一番上の兄は爆心地近くの中学から戻らず、遺骨も見つからなかった。竹刀を振り回し、わんぱくだった兄の姿が今もよみがえる。 両親も、2年とたたないうちに相次いで亡くなった。「兄を捜しに爆心地近くに何度も入ったせいだと思う…」と絞り出すように話した。 きょうだいは親戚(しんせき)を頼ってばらばらに移り住んだ。夏休みなどは顔を合わせたが、帰りの汽車では家族が恋しくて泣き続けるしかなかった。 中学を卒業後、長崎県庁に就職。「両親と兄を亡くした自分の使命」との思いで、20代から平和運動にかかわってきた。「戦後日本が戦争をしなくてすんだのは平和憲法のおかげ」。その一心で祈念式典に臨んだ。 毎日暑くて、ちょっとバテ気味だ。 1日に内閣改造があったが、翌日から甲子園が始まって興味はそちらに移ってしまった。 毎日仕事をしながら、ラジオで試合の様子を聞いている。 昨日からはオリンピックも始まったので、忙しいことこの上ない。 政治の話題もあまり聞こえてこないので、少しアホになたような気もする。 昨日もいつもどおり朝から高校野球の中継を聞いていたのだが、10時半頃から長崎の平和記念式典に切り替わったので成り行きで聞いていたのだが、森重子さんの「平和への誓い」には胸が熱くなった。 空襲警報の解除でいったん防空壕を出たものの、友人の忘れ物を一緒に取りに戻ったために九死に一生を得た森さんだったが、兄は学校に行ったまま戻らなかったという。 |
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