posted by MNG
at 23:40:49 │
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【哀】 秋葉原事件の悪夢も覚めやらないうちに、また無差別殺人事件が起きてしまった。
被害者は大学4年の女子学生。
私の娘も東京の大学に行っており、卒業を控えた被害者と同学年だ。
とても他人事とは思えない。
しかしこの事件の原因を、犯人の個人的な資質に求めるだけでは不十分だと思う。
今年の通り魔事件はこれで八件目で、去年の同時期の二倍になるという。
やはり、社会的な要因を考えざるを得ないのではないだろうか。
また凶悪事件が起きるたびに、厳罰化や道徳教育の必要性が語られる。
しかし今回の事件は、秋葉原事件後の宮崎勤死刑囚の死刑執行後に起きており、厳罰化が事件の抑止力になっていないことを示していると言えると思う。
では問題はどこにあるのか。
原因には色々な要素があるだろうが、一番感じるのは、犯人の自己否定感ではないのか。
自分を尊重できれば、同じように他人も尊重できる。
しかし自分が誰からも尊重されず、そんな自分を自分自身が尊重できない。
そしてなぜ自分自身を認められないかといえば、弱肉強食の競争社会で勝ち残れていないという意識があるからだろう。
親も子供が競争に勝ち残れるかどうかを心配する余り、子供を勉強や競争に駆り立てる。
甘やかすとダメになると思い、厳しく育てようとする。
それが過干渉という、甘やかしの一種だとも気づかずに。
しかし、人間の価値は勝つことだけではない。
憲法が保障しているように、誰でも、健康で文化的な生活をする権利がある。
人間は存在すること自体に価値があるのではないか。
しかし競争社会は、その基本を忘れさせてしまう。
殺人が悪い事ということが分らない人間はいないだろう。
しかし、親からも社会からも否定され、夢も希望も失った人間には、自分と同様他人の命の尊さなど実感できなくなってしまう。
そこで親や世間に対しての不満が爆発し、誰でも良かったという無差別殺人を起こしてしまうのではないだろうか。
無差別通り魔事件を防ぐのは、厳罰化でも道徳教育でもない。
まじめに働いていれば普通に生活できる社会、国民ひとりひとりが自分の存在を肯定できる社会を作ることではないだろうか。PR