posted by MNG
at 23:07:19 │
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【哀】 加藤周一氏が亡くなられた。
筑紫哲也氏に続いて、またも惜しい方がお亡くなりになった。
「大津留公彦のブログ2」さんによると、加藤氏は第1回Peace Night 9で、
以下のようなメッセージを述べておられたそうだ。
戦争はいつ起こったのか?それは誰にもわからない。いつ反対したらよいのか
という節目はない。いつの間にか引き返すことの出来ない状況に追いやられる。
これが歴史の真実だ。
憲法九条の運動は老人がおおい。その理由は、所属する集団の圧力の中で自由
な発言や行動が抑制され、定年退職後に政治的自由を得ているからだ。現代社会
には戦前の治安維持法が今もこのような形で生きている。しかし、ここに憲法が
あり基本的人権がある。これが戦前と違うところでもある。
だからこそ、定年まで待っていたのでは遅い。憲法を盾にして、憲法を守り憲
法の精神を生かすための発言と行動を直ちに行うべきである。
老人よ、1968年を思い出し、何が起こったのかを青年たちに語ろう!ここ
から学ぶことは実に多いはずだ!
これを読んで、「だまされることの責任」の中で、魚住昭氏が紹介していた辺見傭氏の「新しい『ペン部隊』について」を思い出した。
ペン部隊(アジア太平洋戦争中に、戦意高揚の従軍記などを書くために戦地に派遣された作家・ジャーナリストの一団)はもっと厳しく指弾されていい。私達は私たちの心のうちと外にいるペン部隊的なるものをこそ攻撃すべきである。だが、新しいペン部隊には、司令部も顔も人格も場所的中心もない。鵺(ぬえ)のようなものなのだ。撃つべき急所というものがない。じつにうまくできているのだ。ならば、成員に内部からの氾濫を呼びかけるしかない。おおかたの成員はペン部隊成員である自覚もないから、いかにも心許ないけれど、部隊からの脱走ないし反乱を、「私性」をまだ完全には摩滅させていない少数の部隊員に呼びかけるべきである。 これは無駄な情熱というものかもしれない。でも、言うべきであろう。顔を取り戻せ、言葉を取り戻せ、文体を取り戻せ、恥を取り戻せ。反乱の勇気がないのなら、その場で静かに穿孔せよ。情報市場に細かな孔を開けてしまえ。帰属する組織にたくさんの私的な孔を穿て。深く密やかに穿孔せよ。まっとうな知の孔を開けよ。孔だらけにしてしまえ。そのように呼びかけるべきである。ひょっとしたら、呼応するものが幾人かいるかもしれない。
これはマスコミ人向けの文章のようだが、一般人向けの加藤氏の言葉とも通じるところがあるのではないだろうか。
所属する集団の圧力に抗い、自己を失わないことを呼びかけている。
難しいかもしれないが、心がけたいものだ。PR