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戦場のむき出しの暴力は、兵士の心まで切り裂いていた。ベトナムから帰還後、「人を殺したの?」との少女の質問に正面から向き合わなかったら、四つの勲章を受けた“英雄”は、今も路上生活を送っていたかもしれない。
ニューヨーク・スラム街の母子家庭で育った。1足の靴を姉と交代で履き通学した。そんな境遇から抜け出そうと高校を中退し、海兵隊へ。初めて1日 3度の食事を得て、ゴキブリのいないベッドで眠れた。だが、その代償に、18歳の青年は沖縄の基地などでの訓練を通じて殺人兵器となった。前線で敵兵ばか りか、子どもにも銃を向けた。
殺りくの記憶は、除隊後もつきまとった。人との接触を拒み、ホームレスに。だが、転機が来る。教員になった高校の知人に頼まれ、小学4年生に戦争 体験を話した。少女に人殺しを問われ、迷った末に「イエス」。あふれ出る涙の向こうに、肩を抱いてくれる少女の顔が見えた。人生をやり直さねば、と強く 思った。
18年かけ、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を克服。働きながら大学を卒業。貧困家庭の若者に入隊を思いとどまらせるため、「本当の戦争」について講演して回った。
日本での活動のきっかけは、95年の米兵による沖縄少女暴行事件。戦争後も沖縄に基地があることに衝撃を受け来日。毎年100回以上、反戦、非暴力を各地で訴えた。「憲法9条はどんな兵器より力がある」と繰り返し述べた。
今年初め、がんの一種と判明。高額な医療費に備え、日本の支援者らが寄付金約1200万円を集めた。生前の希望で、遺骨は、支援者の一人が住職である石川県の寺に納められる。【高田房二郎】
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